南国ボドゲおじさんことRXです。アルハラシステムズというサークルで何作か、あと蒸気の時代の非公式拡張マップを何作か出してたりします。
なんとなく昔のユーロゲーム通史っぽい記事を読み返してたらやっぱり面白かったのと、最近の分を誰も書いてくれてない気がして発作的に「私も書いてみる!」となりました。ボードゲームデザインアドベントカレンダー2025( https://adventar.org/calendars/12232 )に投稿するつもりが登録出遅れちゃったのでのんびり書いてます。ネタまみれのグダグダ長いほうが読み物として楽しい派なのですが、長くて疲れる派のためにAIに2行でまとめてもらうと「2010年代は、ワーカープレイスメントとエンジン構築が“インフラ”化し、非対称・レガシー・コンポーネント体験・同人シーンがそれぞれ暴れ回った10年でした。」だそうです。あー、そういやそういう気がしてきた。
面白かった先人らの歴史っぽい記事
重要タイトルで振り返る捏造ドイツボードゲーム20年史(part1) - 実録:食卓遊戯密着大本営発表廿四時 https://toccobushi.exblog.jp/13792804/
重要タイトルで振り返る捏造ドイツボードゲーム15年史 - 遊星ゲームズ https://x.gd/qiPo5
ドミニオン発売10周年を前にデッキ構築の歴史を辿る・前編 - 数寄ゲームズ http://sukigames.seesaa.net/article/455723648.html
捏造と言い切るくらいのカジュアルさが無いとボードゲームの歴史を振り返る記事が出てこないのはとても良くわかるので、私も捏造してみます。先の捏造記事だとドイツゲームはドミニオン(2008)/世界の七不思議(2010)で終わったという建て付けなので、これを引き継ぎ、2010年以降のポストユーロゲームの時代を扱うことにします。その後、コロナ禍が始まってゲーム会が立てられなくなったのと、私事ですが結婚したため、だいぶボードゲームから遠ざかってしまい2019年以降の記述は難しいのです。なので、2010年から始まるポストユーロゲームの歴史は、コロナ禍で強制的に2019年に区切られました、ということにしといてください。
んで、リストはこんな感じ。 テラミスティカ(2012)、ツォルキン:マヤ神聖歴(2012)、ラブレター(2012)、カヴェルナ(2013)、コンコルディア(2013)、宝石の煌めき(2014)、パッチワーク(2014)、フードチェーンマグネイト(2015)、パンデミックレガシー(2015)、翡翠の商人(2019)、ザ・クルー(2019)、ウイングスパン(2019)、バラージ(2019)、番外編色々
微妙に絞りきれてない気がするけど、まあ気の向くままに書いてみよう。個人的にメカニクス嗜好が強いので視点もそっち寄りです。なおドイツ/ユーロ/ピュアユーロ/モダンユーロ/ポストユーロゲームの使い分けについて、定義は存在するっぽいけどここでは雰囲気で使ってるので気をつけよう。
テラミスティカ(2012)
2010年代で影響力の大きさでは触れずにいられない重量級ゲームですが、ダイスやカードドローなどの運要素が無いヘビーゲームは当時まだ少ない部類だったのでガチゲーがきちゃったという印象があります。ランダムな部分をゲームのどこに入れるかという問題において、ゲームのセットアップ時にランダム設置詰め込んでゲーム中は運要素ナシ、みたいな構造の初期のものだったような。そのあたりの、ラウンド点や最終得点の方法がゲームごとにランダムに変わる構造がここまでドラスティックなやつ過去ありましたっけ。短期と長期計画のジレンマを悩む構造にすると楽しいのは分かるのですが、ジレンマそのものが順番だってボードに並んでやがる。しかもタイルの種類を増やしまくるのでゲームを繰り返すたびに新鮮味のある飽きない展開ができますわね。重いわ。経過点と最終ボーナスそれぞれをオブジェクト化して交換可能にする効用は、予習対策でしょう。運要素の少ないゲームは事前に最適行動が共有されるとあっという間に底が見えちゃいますから、初期状況を組み合わせ爆発させとくことで最適行動の発見を遅らせるのは大変お手軽かつ有効な実装方法です。そこで真面目なプレイヤーが諦めてくれず、可能性しかない個別ケースの対応まで予習してきてしまい知識の差ができて、全員同じ条件でスタートするというドイツゲームの前提が崩れていくことに。ここから始まったことではないですがテラミから特に露骨になりましたね。個人的にルール把握がしんどいのは苦手なんですが、実は拡張揃えてる程度には好きなので人間わからんものよ。
あと一応言っておくと、初期状況のバリエーションの数だけが武器になるならカタンは2兆9000億通りで遊べるドン!・・・なわけないですよね。違いを認知できて、もう1回!と言わせるパワーや調整が必要なのです。テラミはそういうところを評価されてたのでしょう。
最初からいきなり余談なんですけど、たくさんある得点条件を全てを満たすことはまず無理でどれかにそこそこ注力してバランスよく点を取る展開になるのが普通です・・・えーっとそれはエリアマジョリティでよくやってる力加減では。この後のゲームでエリアマジョリティのゲームを一つも紹介する予定がないので、エリマジョは沢山の得点タイルに取って代わられましたということにします。いきなり好きなメカニクスが一個死んだぞおい。
あと、得点方法の多様性・物量の代償として、勝利点とフレーバーとの乖離は広がっている気がするんですがどうでしょうか。勝利点のバニラ化が進んでるのかも。繁栄点で分かるからいいけれど、ちょっと前まであった名誉点って言い回しが減った気がする。何をしても勝利に近づくものってなんだろう。フェルトさんなら知ってるかな。
テラミ独自でいうと、陣取りと地形を分けたのが地味に凄いなと思ってます。普通マップに印刷されててどうしようもないところなのにこれを分けつつ、得意種族という手段でかけ合わせたものだから、初期条件の変化が凄いし生息域の拡大という名目にあってる。そうだよな、テラミスティカはテラフォーミングするゲームだよな。プレイヤーが好きなようにマップを動的変更できる手段を持ったゲームという点が凄いなと思います。多層構造のマップをフレーバーと合わせて表現しているのはお見事です。
パワーサイクルは、変動資源として面白いんですが後継システムが思いつかない…
隣接ボーナスも随分特徴的です。普通戦闘が起きてダメージ発生しそうなところを交易ボーナスが発生すると思えば分からなくはないのですが、これは陣取りゲームなので若干?が。こんな露骨なプラスをトスのインタラクションとも呼びづらいので、陣取りの余地が無くなったプレイヤーへの救済ボーナス、もしくは陣取りで拡大できて良かったねボーナスだと捉えることにしてます。
テラミはどうしても種族の強弱談義に話を持ってかれちゃいますが、初期条件/得点方法タイルの物量の中から戦術を選ぶのに夢中になっちゃうもんですし汎用性があります。ただ、初期から能力差のある陣営を選択するヘクスマップゲームだと、特にウォーゲームとかはだいたい初期位置と得点方法、勝利条件が決まってるもんです。テラミのこれらは種族と初期位置が紐ついてないのです。同時期のエクリプス(2011)でも顕著ですが、プレイヤー独自能力をゲーム開始前に個別に持つ、非対称ゲームがメインストリームに踊り出ました(ということにしといてください)。日本だとストIIやスマブラで持ちキャラとか皆居たじゃんとは思うのですが、家族向けには同じ条件でと願うドイツゲームの価値観はここでもアップデートされてしまいます。公平性を捨てる代わりに得られるものは深い理解と愛着です。ゲームを始める前にキャラの性能が強い弱いと言ってプレイヤー自身の好みと紐付けて議論する楽しみが非対称ゲームにはあります。これはゲーム内プレイヤーの、没個性ユーロから自己同一化アメリトラッシュへの回帰だと見込まれるのではないでしょうか。ヘクスマップのゲームと相性良さそうに見えるけどそっちは説明が思いついてないです。サイズ:大鎌戦役(2016)とかまで繋がってたりしませんかこれ。
というわけで、ワーカープレイスメント、デッキ構築とも異なる第3の柱として、個別能力が売りの非対称ゲームを挙げておきます。これらが今後、合流と改善を繰り返し、多様な得点方法と豪華なコンポーネントで巨大化していったのが2010年代史でしたという展開をするつもりです。このペースで本当に記事を書き終えることができるのでしょうか…
ツォルキン:マヤ神聖歴(2012)
ケイラスから始まったとされるワーカープレイスメントは、アグリコラ(2007)とストーンエイジ(2008)を経て普及期を迎え、その後も解析と応用が続けられます。コマを置いて能力発動というシンプルなメカニクスなので、そのシンプルな強さの秘密を知りたい!応用したい!というのは当時のデザイナー共通の野望だったと言えるくらいには、ワーカープレイスメントを中心に据えたゲームは多種多様なものが出版されました。 その中で、ツォルキンは配置と効果発揮に時間差の概念を加えるために、歯車という巨大コンポーネントを導入したのが特徴的でした。映えますもん。ワーカーを送り込んで後のターンで発揮する、という短期フィードバックはワーカーアクション構築であるというこじつけを今思いつきましたが、そこまで言わんでも時間とともに何かを構築・計画することは汎用的なボードゲームの楽しみなのかもしれません。この時間差の概念は面白かったのですが、ワカプレ派生作としてはまだ発展途上でこれ以降もワカプレ百花繚乱は続きます。
でもここでは歯車のほうの話がしたいのです。同年のカッラーラ(2012)、その後に続くアルルの丘(2014)と共通して、でかいクルクル回るコンポーネントにコマを載せて回す時間経過を表現するのは素敵な回答だと思うのですが、時間経過を表すコマを一つずつ取り除いて下さいというビッグチーズ(1998)方式のほうがまだまだメジャーです。やっぱボード2枚と留め具を入れるのはコスト高いんだろうか。でも、自動で動き、選択と結果の時間的距離が一目瞭然というわかりやすさは色々研究されて、最近だとツォルキンと同じ作者ルチアーニが作ったバラージ(2019)とかにもありました。メインにはなりにくいですが、カードやコマでもない時間管理のためのサブシステムとしていぶし銀の働きを続けてくれます。無駄に回したくなるよなアレ。
ここで数あるワカプレの中からツォルキンを出したのは、ルチアーニとバラージを2010年代史のラスボスとして設定しているので、伏線としての顔見世なのです。
ラブレター(2012)
一方日本では、となるとこの時期はラブレターがやっぱり代表作なんだろなと思います。500円ゲームズや萬印堂のセットの影響を受けた最小コンポーネント構成を背景とした小箱文化が花咲きました。ドイツゲームにハマった人が急増し、その中でラブレターが海外に受けたものだからこれに続けと同人ゲームクリエイターもどんどん増えていった時代です。限られた予算の中で、小さく、安く、でも面白くするぞと皆で考えていて、例えばラブレターなら、たった2枚のうち、捨てたカードが効果を発揮して残りのカードで勝敗が左右されるというミニマルな仕組みでした。この時期の日本のゲームはそういう密度で出来ています。 これに限らず、普段はドイツゲームで遊んで分析を行い、その問題意識と回答をブログや頒布作品として公開していたという流れがありましたし、小型化やインスパイア、ゲームマーケット独自の流行によって生まれた名作は数多くあります。ドラフトからヴォーパルス(2011)が生まれ、人狼からワンナイト人狼(2012)が生まれ、カード2種縛り流行からゴリティア(2014)が生まれ、ワカプレからリトルタウンビルダーズ(2017)が生まれ、量子ゲーム流行とトリテからキャットインザボックス(2020)が生まれ、それぞれ日本や世界で評価されていきました。羅列しすぎたのでこれくらいにしときます。お名前借りてすみません。このメンツにしれっとゴリティアを入れたのは私が思うミニマリズムの極北だからです。あれほんとにテキストなしのゴリラとバナナカードしかないのにガッツリ面白いの凄いよ。まあ、盛ると言うより密度を上げていこうという気概を2010年代の日本のゲームは持っていたと思いますし、デザインに制限があると逆に燃えるのは日本人あるあるなんでしょうか。
もちろん、日本人は大箱も作っていました。枯山水(2014)、江戸職人物語(2014)、横濱紳商伝(2016)とか。話が飛びすぎたのでここでは触れるだけですが、日本のボードゲームゲーム史も誰か詳しく書いてくれませんか。ゲームマーケットの拡大と流行ったテーマ、震災の節電やコロナ、海外の受賞歴、とかさ。
カヴェルナ(2013)
アグリコラいれずにどうしてこっち入れちゃったのよ、というツッコミはありますが一応明確な理由があります。プレイ時間が「人数×◯分」という表記だったかなり最初期のゲームのひとつだからです。連綿と続くドイツゲームたらしめてた理由の一つとして複数人数で遊ぶのがメインであり、それはカタン(1995)やエルグランデ(1995)と同じく90分のカテゴリであるお約束がありました。それが実質的には既に無くなってたとはいえ、お約束が形骸化していたのをとうとう認め、複数人・90分前後ではなく、ソロもメインプレイヤーとして勘定に入った表記になることはドイツゲーム白旗宣言くらいには思っています。人数少なく長時間で設定するということは、今まで想定していた子供を追い出してゲームをマニアのものにしかねないのですが・・・まあ沢山ゲームあるしいいか。箱の表記ではなく説明書やメーカー紹介文などでは、アグリコラ、ル・アーブル(2008)などで既に人数×◯分の表記が出てきていたらしく、もともとウヴェ様はこの建前は好みではなかったんだなあと。
そこまでマニア向けの表記せざるを得なかったカヴェルナ最大の特徴が、選択肢の全部出しです。アグリコラ然り、ランダムなカードによって戦略が分かれるのがそれまでの王道であり、ランダム性にやられて負けることがあるのが弱点だったのでこれを克服するためにデザイナーは工夫をこらしてたんですが、よもやタイルの選択肢を全部並べるとか思いついてもやれるもんか。もちろん机の上はスペースが偉いことになるんですが、運でやられることは無くなりました。勝利を目指したコンボプレイヤーを邪魔するものはありません。戦術の組み合わせ爆発が起きてるので数回遊ぶ程度で必殺コンボが発見されて底が見える可能性はありません・・・えー、いいんだこれ。まあいいか。早取りに負ける可能性はあるものの、全ての選択肢から、自分だけの好きな戦術をかなり自由に取れるようになりました。ワカプレとエンジン構築(旧姓:デッキ構築)の結婚までにはいろんな段階があるのですが、その初期の一つにカヴェルナがあったんじゃないかなと思っています。
コンコルディア(2013)
みんな大好きロンデル!これを作者自ら捨てたのがコンコルディアです。みんなとは俺のことです。なのでロンデルの説明から入るのですが、ゲルツが作った環状のマスから選択肢を選ぶメカニクスで、選択肢の順序・頻度に縛りを入れてかつスピードアップを図るのが目的です。古代 (2005)ってゲームが好きなので例に出すと、古代オリエント7カ国に分かれて軍事・宗教・技術を競ういかにも時間がかかりそうなゲームなのに、1ターンでやることはロンデル内の3択から1つ選んで資源を一つやそこらをポンと処理するだけ。滅茶苦茶早いのです。しかも次のターン以降の選択肢も自動的に決まり、大変に便利だったのか作者の代名詞ともいうほど繰り返し使われるメカニクスになりました。これを作者ゲルツ自らデッキ構築のごとくカード化したのがコンコルディアになります。
変わった点は、自分のやりたいアクションを手札にある限り好きなときに出せること、カードを確保して後の展開をコントロールできる妙味があること、カードそのものが得点源になるということです。うーん、デッキ構築と言ってもいいんじゃないでしょうか。スピード感は落ちましたが、護民官のおかげでリシャッフルが無いのは分かりやすいプラスです。アクションを選んで即行動だったのが、カードを買って護民官で回収してからプレイして・・・とここでもアクションの選択とプレイの間に、デッキ巡りによる時間差と自分向けカスタマイズが生まれています。既にお気づきかもしれませんが2010年代のシステムをだいたいこれで語ろうとしていますので話もそっちに寄ります。でもデッキじゃなくてどちらかというとハンド構築でぇ…というエクスキューズが入り、同時期のオルレアン(2014)で出たバッグ構築と相まって数年後にエンジン構築という名のもとに統合されていったというお話かなと思います。
逆に見ると、ロンデルとは8つの共有マスをバランスよく使わせるもので、しかも資源の産出と使用がだいたい逆側に配置されてるため、作者の作った不便なアクション詰め合わせエンジンを運用するゲームともとれるわけです。絶妙な配置で惚れ惚れすることが個人的に多いのですが、その不便さを乗り越えるのではなく踏み倒したいというニーズが一定数あり、ハンド構築のような方法に変化を遂げたのではないかと想像します。引っ込んだロンデルの方は、コンコルディア(と前作のナヴェガドール(2010))のヒットにより逆にメジャー化してしまいます。ロンデルは作者の手を離れ長さを可変にしたり二重にしたりといろんな応用がされました。航海の時代(2015)とかがイメージしやすいですが、ロンデルはアクション価値の自動変更と円環マップの巡回要素を持ち、マスそのものにも効果を足しやすく実装しやすいものですので、アクション選択とマップがあるゲームにはエッセンスを導入しやすかろうと思います。行き着くところまで行くとグレート・ウェスタントレイル(2016)なんですが、ちょっと足しすぎかな…
他のゲームと明確に違って、コンコルディアのルール量は相当に少ないです。ページ数少なくてゲームは深いという、面白さ/複雑さのコスパは最強なので、ゲルツ様のゲームは入りやすくて良い。
アクションの位置関係をコントロールする系で似たシステムとして、トラヤヌス(2011)のマンカラだとか、イスタンブール(2014)のドーン歩きとかがあります。こちらはあんまり後継っぽいのが見当たらないのは、マスごとの依存関係が強すぎて改変難しかったのかななんて想像してます。
宝石の煌めき(2014)
まあヒットしたし後世に影響を与えたゲームなのは間違いないんですが、メカニクスの話をすると単純な拡大再生産ゲームです。とはいえ、余計な枝葉は全て削ぎ落とし、再生産とは全てカードを集めることによる特定資源の割引であるという割り切りは素晴らしく、引き算のゲームデザインの好例かと思います。拡大再生産にありがちなお金ジャラジャラで大きくなっていくのとは一線を画していますが、お金ジャラジャラの代わりどころか上位互換ともいうべきものが宝石の煌めきにはあります。みんな大好き宝石チップです。あの重くてペタペタした質感のおかげで、高度な財テクをしてる雰囲気を初見から味わえるのが大きな特徴ではないでしょうか。宝石チップのためのその他を削いだというコンポーネント中心主義とも解釈できるので面白いゲームだなあと思います。もちろん大量に用意するのはコスト的に難しかろうなので、ゲーム中のチップ数もプレイヤーが持てるチップ数も変化はありませんし、そういう資源設計だったんだろうなと思います。引き算のデザインが効きすぎて、拡張でなんか足すと蛇足感出てしまうのはあるある。
あと、拡大再生産ではないのですがコンポーネントのおかげでというと、アズールがあります。それなりに攻撃のある複雑なゲームだと思いますが、触ってキレイ、というイリンクスも大事なんだよとアゴン中心主義者を定期的に諭すのがこの2ゲームという感じです。
パッチワーク(2014)
二人専用ボードゲームは、カップルで遊ぶ前提の優しい感触のものか、伝統ゲーム由来のアブストラクトもの、有名ゲームから脂身を抜いた派生作品しかないのが世の常ではございました。が、ここに来て大本命が登場しました。パッチワークはその名の通りパッチワークを当てるゲームで、特定のブロック(ポリオミノ)を隙間無く詰めていき隙間がない方が勝利というもので、そこだけ聞くならブロックスデュオ(2005)でいいじゃんと思います。でも手番形式にテーベ(2007)やオリンポス(2011)でおなじみタイムトラックを使い、ブロックの取得順には可変長のロンデルをぶち込むという癖アリなメカニクス2つを謎合体させてるのに、すっきり遊びやすいのはほんとびっくり。ボタンの数とブロックの形でこっそり拡大再生産要素も入れてるエグさに、ウヴェ様がたまに出す実験作としての一面も見え隠れしますが、優しいフレーバーもあってこの時期の二人用ゲームのド定番として遊ばれていました。本人も気に入ったのか、ブロックパズル要素はウヴェ様の後継ゲームに引き継がれていきます。二人用・タイムトラック・ロンデル・ブロックパズルという亜流メカニクスの詰め合わせという愛すべき変なゲームなのですが、これが本流メカニクスであるワカプレの第一人者によって作られていたことは寓話っぽいかもしれません。凄いぞウヴェ様。
また、本家超えの呼び声高い二人用派生ゲームとしては世界の七不思議デュエル(2015)も外せません。ドイツゲームの要素の一つであった複数人、つまり三陣営以上からなる漁夫の利インタラクション万歳な流れに、漁夫の利が存在しない二人用ゲームが加わっていきました。二人用ルールっておまけみたいなもんだったのですが、このあたりからどんどんメジャー化していきます。
フードチェーンマグネイト(2015)
個々の要素は普通のメカニクスなのに、ゲーム自体でユーロゲームの文脈やメカニクスで歴史の一部として語ろうとすると突然変異扱いされかねないオランダの最終兵器スプロッターのアレとしか言いようが無いやつ。アメリトラッシュ的な能力モリモリゲームであり、スタッフカードをあつめるエンジン構築ゲームであり、ハンド同時出しプロットゲームであり、油断すると何をやっても儲からない骨太の経済ゲームです。経済ゲームといっても株や借金に頼らず、需要と供給だけで、しかも最初はどっちも無く、コックを雇って宣伝打ってやっと収益が発生するんですよというリアルさに心奪われる人が多数居ます。私含む。とはいえそれは調整の話で、初期資源と初期需要が配布されていてもゲームとしては一応成り立つでしょう。面白いかはさておき。
じゃあ独自性ってなんだろなと思うのは、需要の強さというのは値段設定+距離なんだよというあけすけな順序処理ではないかと思うのです。割引課長などで値段そのものを弄れるゲームは希少です。品物次第でベース金額とかありそうなもんだけど、大衆の皆様はそんな違いは分からないので近場で知ってる安いものだけ買いますというメッセージは、なんか強いというかすげえな。それこそコンテナ(2007)あたり自由に値付けできるじゃんとは思いますが、値段と距離コストが同じ単位で合算されるって珍しい。ともかく経済ゲームで距離みたいな物理コストは無視されがちなので、一石を投じたなと思います。 そこまでして実装した理由は、ランダム性を徹底的に排除したかったためでしょう。全てのタイルや店に居神経質なくらいきっちり順序が設定されています。お店視点のゲームで客が来るかどうかの経済モデルならダイスの確率で決めちゃって良さそうなものですが、メカニクスを隅々まで入れ込むことで、全ての事象はプレイヤーの思惑によってのみ決定されるというのがこのゲームの裏テーマではないでしょうか。その視点でルールの細かいところを読んでくと、ダイスの神様やディスティニードローが念入りに排除されている痕跡がめちゃめちゃあってですね・・・勝敗が100%プレイヤーのせい/おかげになり納得感や満足感が増しましたが、代わりにルールの複雑化も許容します。この視点だと2010年代重ゲーのど真ん中にいるよなこれ。もともとそういうパブリッシャーじゃんと言われたらまあそうなんですが。
でも、変にユーロゲームでの位置づけを考えるよりスプロッターの連中がまた変なゲームを作りやがった!と騒ぐのが素直なあり方のような気がしてきた。あ、今から遊ぶなら拡張のマイルストーン全入れ替えを最初から入れといて下さい。オススメ。
パンデミックレガシー(2015)
リスクレガシー(2011)があるのにパンデミックレガシーのほうを取り上げるのは前者を遊んだことがないからです。というかレガシーはだいたいパンレガから入った人のほうが多いよなあ。というわけでパンデミックレガシーの話をしたいのですが特色だらけでして、やっぱり繰り返し遊んで、前のゲームの痕跡というか遺産を積み重ねていくというのが一番の見どころでしょうか。もちろんただのキャンペーンモードと言われたらそうなんですが、同じ条件で何度も遊ばないというのを逆手にとって、ボードに直接書き込むわカード破くわ条件みたさないと一生知らない箱があるわで、物理的に不可逆なコンポーネント破壊をする楽しさが真っ先に思い浮かびます。その痕跡がストーリーの骨組みを支えて面白さが増す仕掛けです。誰もやろうとしなかったコロンブスの卵的な演出です。キャンペーンモードにありがちなちょっと初期条件を変えただけの繰り返しゲームの枠組みから脱して、ストーリーが展開してゲームの設定も不可逆に変更されているのは稀有な体験でした。アナログゲームの良さですねえ。
で、同じレガシーゲームを繰り返し遊ぶために、同じメンツを集める必要が出てきました。TRPGでは当たり前だった光景かもしれませんが、先の展開が知りたくて繰り返すというのはこの頃のボードゲーマーには斬新です。同じゲームを繰り返し遊んでも飽きられないように、初期条件を変え種族を変えランダム性を増やしていくアプローチが当たり前だった時代に、固定メンツでストーリーを共有できれば1回限りでも全然OKなんですという回答は共感を得て、その後レガシーゲームが量産されていくのでした。パンデミック(2009)という協力ゲームとの相性も抜群だったのが功を奏します。ドミニオンがMTGのデッキ構築を輸入したように、TRPGのキャンペーンモードが再発見され輸入されたという見立てであってると思いますし、なにせボードゲーム化してるのでGMが要らないという視点だとカジュアルに進化してるかなとすら思います。 1回限りのゲームにおける物語性は、EXIT:脱出 ザ・ゲーム(2016)のような謎解きゲームや、九頭竜館の殺人(2019)のようなマーダーミステリーゲームの流行に大いに貢献します。実はこのあたり私は遊んでなくて、SCRAPのリアル脱出ゲーム(2007)の経験と放課後さいころ倶楽部16巻のマダミス描写から想像で書いてて申し訳ない。まあ、近いジャンルからの輸入によってしばしば流行が生まれるもんだと心構えておくのが良かろうなのです。ネタバレ禁止の弱点は今でもあまり改善されてないっぽいですが、初見の驚きは代えがたい経験なのも分かるのでそのままでいいところ。
今回は、メカニクスの効果というより、ゲームを遊ぶ環境とか魔法円の改造でした。こういったゲーム体験を向上させるためのストーリー、演出、配慮、調整はこの先も尽きることはないのですが、このあたりは足されるものなので、またゲームが分厚くなります。結果的に使わないカードが束で入ってるからなあ…そして行き着く所がグルームヘイブン(2017)です。ミニチュアやシナリオがモリモリ入ってて、ダンジョン探索で協力するファンタジー系TRPGっぽい要素になってるんでしたっけ。実はこれも未プレイなのでパンレガの項に紛れ込ませているけれど、本当はこれだけで独立した項を立てなきゃいけない気がする。BGG1位を独走するくらいには満足感高いのかなと予想中。
ただ、パンレガ含めレガシー系ゲームは、ネタバレ禁止のおかげで事前に準備しなくとも良い塩梅で遊べる最後のヘビーゲームだったかと思います。以前からですが、特にパンレガ以降のヘビーゲームと呼ばれるものは、事前のコンボ研究や初見のルール把握力を競うものが占めるようになります。
翡翠の商人(2019)
ドイツゲームにおけるオークションの原型を並べたものがモダンアート(1995)なら、ユーロゲームの競りメカニクスを7ビット128パターンの空間に分類したのがスパ亭さんのデザインノートであり、そこから生まれたのが翡翠の商人になります。記事は http://spa-game.com/?p=5093 にあるので読んでみよう。できれば冊子になってる方を入手してもらえればもっと詳細に書いてあります。これまで枝分かれ後出し的に発展してきたオークションのデザインをマッピングして、未発見領域から新しいゲームを作る手法をここまで徹底するのは聞いたことがなく、ドイツ/ユーロゲームの分解と分析はこの時代にはここまで進んでいたという証左になります。というかついでに得点計算も概ね5種類に収束させてるので得点メカニクスのインデックスとしても有用です。
応用して、未知の競りシステムを発見し得点計算5種と組み合わせると例えばこうですね、と実装したのが翡翠の商人になります。このゲーム自体の手触りは未発見領域だけあって手触りがかなり面白かったのですが、インフレ要素を投げ捨てていたので同じことの繰り返しに見えて飽きるのが早かった…後世への影響が少なかったのは残念ではありますが、とにかく「小さく完璧なゲーム」の1つの到達点だったと思います。ゲームそのものというより、これをデザインした過程と分析を歴史の1ページに加えておきたかったのです。既に世は重厚感や体験の向上といった、ボリュームがあって構築していくゲームが花開いており、ミニマムな競りは間が悪かったのかなと。あと、名作ワカプレのナショナルエコノミー(2015)が最近再販されて嬉しいのでもっと遊ばなきゃ。
ザ・クルー(2019)
トリックテイキングゲームはマニア向けという印象が強かったんですが、協力ゲー・ミッションクリア型にしてしまえば皆で楽しめるぞ!というお話になりました。何故このタイミングでドイツゲーム賞を取っちゃうくらいトリテが流行ったんでしょうか。ペアでチーム作って戦うブリッジとか、1体多数で戦うナポレオンみたいな一部協力するやつは昔からあったはずです・・・はい、全員協力型のレガシーゲームの枠組みだからですよね。何度も遊ぶうちに仲間内の連携が取れていってレベルが上っていくことが楽しいと、パンレガによって再発見された土壌があってこそ開いた花でした。弱点もそのままで、メンバーが一人でも変わるとだいぶ雰囲気が変わってしまうのもそのままです。それでも、共にレベルアップした仲間というのはゲームを遊ぶ上では代えがたい宝物で、システムがプレイヤーを育てるとも言えるレガシーシステムならではの体験でしょう。奉行問題とかは宇宙は空気無しフレーバーで押しきったのはある意味スマート。パンレガはパンデミックがそもそも面白かったからという意見はありましたが、トリテみたいな枯れたシステムでもレガシー化で最前線に躍り出られることを印象付けたのでした。実のところ日本だとトリテがどんどん出てきてたから、その盛り上がりの一部としか受け取ってなかったけど海外だとどういう位置づけなんだろ。でもまあ、ちょっとした組み合わせでマニアックなやつでもパーティー系メジャーゲームに反転することはあるんだなと意識してみるといいかも。パーティーゲームは、バルバロッサ(1988)以来の「当てすぎず外しすぎずちょうどいいところを狙う」というのが続いたので、久しぶりにメカニクス丸出しなものが出たのは充分な功績じゃなかろうか。
トリテみたいな旧来のメカニクスを持つゲームを、協力かつミッションクリア型にするレガシー化によってお色直しするのは今後も続き、いつもの仲間があつまるゲームシーンが再現されるでしょう・・・・と思ったらこのあたりでコロナ禍が発生して全部止まります。三密を避けるのはボードゲームと相性悪いですが、何度も同メンバーが接触するレガシーシステムは特に厳しい立場におかれます。コロナ明けたらどうなったんだろ?
ウイングスパン(2019)
2010年代エンジン構築の象徴的存在。並べた鳥の能力を順次発動していき資源を取っていきます。小さな効果をいくつも積み上げてアクションを強化していくもので、様々な鳥を組み合わせたオリジナルアクションが作れます。先行作品けっこうありそう。ドミニオンのデッキ構築ゲームから始まり、手札・ダイス・バッグなど色んなものをビルドしてきた結実としてウイングスパンにたどり着きましたという見立てにすると、ゴール地点としてはちょっと足りない気分・・・でしたが、ゲーマーズゲームとライトゲームの境でちゃんとブレーキを適切に踏めたゲームだと捉えてます。おかげで演出のための調整を入れる余裕が出来た。サイズ:大鎌戦役を始め、ワイナリーの四季(2013)、チャーターストーン(2017)やタペストリー(2019)など、ストーンマイヤー製ゲームとしてのワカプレ・非対称・レガシーといった重ゲー開発と、世界観やグラフィックで攻める経験が良いように働いたとも取れます。しまったこっちを今回の記事の縦軸にしても良かった気がしてきた。ま、いいか。
メカニクス的に強いて言えばオリジナルアクション構築ゲームとでも名付けるべきなんですが、構築ゲームの種類を増やすのがそろそろ微妙になってエンジン構築ってまとめて言っちゃおうぜと誰かが企んだと思っています。とはいえ一応、デッキ構築からウイングスパン流アクション構築までに変わったものを総括すると、リシャッフルの手間、ランダムドロー、負のフィードバック、そしてターミナルアクションが削除されました。つまるところドミで言うと、コンボ決めて引き切る手札が毎ターン欲しかったのかなと想像しています。そういう作りなので、ちょっとずつコンボがうまくいくように資源管理とカード並べ構築でヒーコラして、やっと俺TUEEEEEができる頃にクライマックスが来て、鳥の大群にめちゃめちゃにされて終わるんですよねこのガチなゲーマーズゲーム。それを目指すうえでのゲーム途中のジレンマやボーナスの難しさを、餌や卵というフレーバーにマッチした表現で甘く包んであげることで難しく見せないようにする優しさのデザインが光るゲームです。スパイクくんばっかりじゃなくてティミーくんジョニーくんも一緒に遊ぼうよ!
ウイングスパンの名誉のために申し上げますと普通に楽しいゲームだし、1手番でアクション効果が連続するのはシズル感あって遊びやすいです。ダイス振って一喜一憂するとか、綺麗な鳥が沢山で嬉しいとか、卵コマのつるつるが好きとか、そういう競争の外にあるイノセントな感情を大事にするのを忘れがちでしたなぁと反省する次第です。中量級ゲームとはやりすぎないゲームだと思い至りました。
実のところ、センチュリー:スパイスロード(2017)でシンプルなエンジン構築の話ができるし、センチュリーシリーズ3部作合わせるとエンジン構築・マップ・ワーカープレイスメントをモジュール的な組み合わせられるのでシステムデザインの話をするには最適のはずなんですが、まだ1作目しかやったことなくてモゴモゴしてます。誰か遊ばせて下さい。
バラージ(2019)
誰が全部盛れと言った!そうか皆が言ってるか、ならしゃーないな・・・バラージは好きなゲームで拡張も買ってたりするんですが、それにしても要素盛りすぎで心折れることが多く、2019年頃のポストユーロゲームの良いところ悪いところも相当に含んでいるので、ちょっとラスボス役を引き受けてもらおうと思います。
ベースとしてはワーカープレイスメントですが、担当国家と重役は非対称ゲーム、時間差資源のためのホイールとその構築、契約その他大量のボーナスタイル、目的タイル・・・ルール以外にも、ミニチュアコマとメタルコインをクラウドファンディングで売って拡張もドンドコ出しますと。ヘビーゲームの上にスーパーヘビー級みたいなカテゴリが要るよなやっぱ。出版点数が滅茶苦茶多くて代わる代わる色んなゲームで遊ぶこの時代に、1つのゲームをしゃぶりつくしても多様な展開で飽きないというリプレイ派向けが前提になっているのです。逆じゃねと思わなくもないですが、底が見えてしまうのは現代では致命的な隙になってしまいます。必勝法が存在してネットで共有されるのを全員恐れているとしか思えん。そしてそこまでリプレイアビリティあげても、実際にリプレイしたくなるかは別問題だしなあ。やっぱりシステムを深くして分析麻痺で底を隠すより、どこかの深さでプレイヤー間の思惑次第なところにしたほうが結果長生きすると思うのですがいかがでしょうか。これをヘビロテできるヘビーゲームとしてうまく調整できてる(?)側のバラージに言っても詮無い事ですが。
バラージ本体はマジで悪くなくて、重役やマップのコンプリートを目指してお腹いっぱいになってしまった私の八つ当たりに近いです。そんな謎のヘイトを買うほど肥大化してもワカプレの根っこは破綻してません。丈夫なシステムですよまったく。メカニクスを改造しても平気なシステムと破綻しやすいシステムがあるとしたらワカプレは完全に前者。
バラージの中身を細かく見ていくと、評判通りダムに流れる水の扱いが独創的で面白いです。自律的に動く資源とそれを追いかけるプレイヤーという図は他の例が思いつきません。10年前なら、ダムと水とパイプとお金だけを扱う、水の動きが特徴的な中量級ワカプレ1本で出されてたんじゃないでしょうか。でも今は足さないと埋もれるだろうしなあ。なぜ盛らなければならなかったのか考えるのは今後のデザインを占う上で大事かもしれません。
あとは、担当国家と重役の組み合わせ的な非対称ゲームのおかげで飽きさせず、ワーカーをぼちぼち置いていき、重機をホイールに置いて今後の計画を仕込み、発電して契約を達成させVPを得ると。まあよくある重いワカプレゲームです。なお、よくあるシステムを破綻無く組み合わせられたのはルチアーニの才能や努力のたまもので、適当にメカニクスを沢山組み合わせたら自動でゲームができるということはありません。あ、フリーゼの504(2015)の話はやめときましょう。
あとホイールのタイル設置をホイール構築としてエンジン構築の一環に加えて良い?エンジン構築ゲームとはすなわち「将来の選択肢ストックをプレイヤー自身がコントロールするメカニクス群」って決めるのを今思いついたので。ギアにワーカー乗せたり、ホイールに資源ぶち込んだり、デッキに使いたいカード放り込んだり、そういう選択肢のストックを溜め込む機構があってアクセス可能ならほんとになんでもいいよ・・・というのはいかがでしょうか。なので、ワーカーをギアに乗せたツォルキンはワカプレ&エンジン構築であり、これからバラージまでのルチアーニ軸が2010年代の作品を語る視点の一つとして有用なのかなと考えています。
というわけで、ケイラスやアグリコラから盛り上がったワーカープレイスメントの10年は、その本質は変わらないまま、他のサブメカニクスを載せてもゲームめいてみせるインフラメカニクスとしての役割を果たしてきました。また、デッキ構築から始まるビルド系メカニクスはエンジン構築の一つとして再解釈され、各アクションのオリジナルコンボを作るストックとして様々な形で実装されていきました。その担い手の一つとして、ツォルキンからバラージに至るまでど真ん中に居たルチアーニと愉快なイタリアのデザイナー達の貢献があったのだという見立てにしたいと思います。
そして彼ら含む2010年代のデザイナーは、後世のゲームシステムに影響しまくって時代を変えちゃうようなスター的なメカニクスはついぞ発明せず、ワカプレとビルドを拡大再生産と多数な能力・目標で盛って満足度を上げていくことに情熱を燃やしていった時代でしたいオチで締めたいと思います。個人的にはもうちょっと中量級に戻ってくれると嬉しいので和ゲーに頑張ってほしいのですが、競りゲーとエリアマジョリティが滅びつつあるので、期待虚しくパーティーゲームとヘビーパラメーターの2極化する構造がそのまま維持されるんじゃないかなと見ています。
これでだいたい終わりで、あとはちょい足しのコーナーです。もうちょっとだけ続くんじゃ
蒸気の時代(2002)(2019)
別に2010年代のゲームでは無いんですが、私の推しなのと2019年のデラックス版が出たのでいれちゃいましょう。このゲームはマップとそれ以外のコンポーネントに依存関係が無いのと、作者が二次創作に寛容なので、拡張マップを世界中の人が好き勝手に作って発表しまくるブームが起きてます。総数はざっくり200〜300くらい。日本人的には東方やアイマスで起きた波です。で、誰がゲームを作るのかという話です。所謂ドイツゲームは3Kのごとくデザイナー個人作で、ユーロゲームはアッキトッカよろしくデザイナー集団作で、となるとこれはデザイナーには直接関係ない第三者作となります・・・ドイツ/ユーロゲームって商業出版のやつって前提あった気がするのですがそこから飛び出してませんかね。もちろんこれ迄にもアグリコラでユーザ発案のものが色々採用されたり、チケット・トゥ・ライド古代アジア拡張はユーザ提案によるマップコンテストの出版だとかまあ例はいくらでもあるのですが、公式との距離感には色々です。じゃあ蒸気はというと本家作者より拡張マップの作者名が前に出がちです。おお、ゆーざーじぇねれいてっどこんてんつぅ。このカテゴリに名前や定義がつけられたらデザインの発展に活かせそうなんですがどうでしょうか。なお蒸気の時代の作者権利については色々あった。ここから18xx系ゲームの話をしたら収集つかないのは知ってる。
ポンジスキーム(2015)
経済とか株、鉄道などの硬派なゲームを一番うまく扱えるのは台湾勢なんじゃないかと思うときがあります。絶対に破綻するとかかなり面白い切り口だし、秘密裏の入札も情報戦の実装としてはこれ以上無い方法だなと。カーゴエンパイア(2019)とかもあるし、ユーロ系中量級ボドゲの担い手をやってくれてありがとう。
EXIT 脱出:ザ・ゲーム(2016)、グルームヘイブン(2017)
パンデミックレガシーの説明にくっつけちゃったけど、遊んだことないのでほんとすみません的な。協力モノあんまりやらないのとネタバレ禁止モノに近づく気があんまりなくて・・・特にグルームヘイブンは、ボードゲームの肥大化、高価格化の象徴としてクラウドファンディングの話も絡めたかったからなおさら独立した項目にするべきだった気がする。売上と営業の話が増えたのもこの高価格化あたりからかも。あー、豪華版とかリメイクの話どっかに差し込めないかな。
イーオンズエンド(2016)、エルドラド(2017)
デッキ構築のバリエーションも沢山作品を出したかったけれど、エンジン構築の話の流れに乗せきれなかった・・・デッキ構築との組み合わせとして、協力系のイーオンズエンド、わいわいレース系のエルドラドなど挙げましたがワカプレに劣らずもっともっと百花繚乱なのです。冒頭に貼った円卓Pのデッキ構築の歴史記事が面白かったです。
ビール侯爵(2010)、ラクラク大統領になる方法(2012)、504(2015)、フルーツジュース(2019)
フリーゼ!流行のゲームシーンへの批評性が高く、しかも独自の解釈で、面白く調理しなおすことができる緑のヤバいやつの作品群です。デッキ構築は1枚ずつ山札の下に仕込めとか、ゲームにオリジナリティなんか無いからパクリだけで作るとか、メカニクスのモジュール組み合わせでゲームを作ってみようだとかやりたい放題じゃないですか。フリーゼからみるユーロゲーム史とか充分成立するんじゃなかろうか。
ダンジョンペッツ(2011)、メイジナイト(2012)、コードネーム(2015)
フヴァチル!フリーゼとは逆でユーロゲーム史を追うのに一番向いてない人。ここに挙げただけでもジャンルバラバラなので作家性というものを絞るのが難しく、パーティー者から重量級まで、それでいてどれも面白いから凄い。でもコードネームでドイツ年間ゲーム大賞取ってるから傍流とはとても呼べない。これ以前にも、スペースアラート(2009)、スルー・ジ・エイジズ新版(2015)などがあってやっぱり全然違うやんけ。芸の広さに恐れ入る。
全体的に書き方が偏ってる自覚はあるので、なんなら色々追加して書き直したいけど面倒くさいので、このまま出します。異論反論が思いついた方は、ボドゲ歴史まとめ記事を書く資格があるので是非執筆お願いします。私はそれをかなり読みたいのです。 2020年代も良きボードゲームで遊べますように。