しあわせさがせ?

たらたら日記帳

nakarxと電子の妖精たち(1/5)

mixiのシステム上、みんなの日記のなかから最新の5つが

トップページに表示されるシステムになっています。

逆手に取れば短期間で俺が5回更新したら、俺が独占じゃん。



という、ぴろの考えた企画の二番煎じをやってみます。

長文更新終了の組み抜けには必要な儀式なのです。



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手始めにブログ論でもやってみっか。



俺のウェブ巡回先だけの傾向かもしれないけど、

今、ブログ論みたいな論議がものすごく流行っているのです。

スタンス・書き方・続け方・ブログのつながりエトセトラ。

特に注目していたわけじゃないが、ちょっと影響されてきた。



その中で、毎日更新する意義は恐ろしく意見が分かれてる。

人を集めるブログを書く上では、毎日書くことは欠かせない。

割とこの意見は賛成だけど、やっぱり欠点もある。



頻発過ぎる更新は読むほうへの負担になっていないか?

書くほうもネタがなくなったり、更新疲労がでたりしないか?

そもそも、人が集まることがそんなにいいことなのだろうか?

そんなこと考えるほど暇な瞬間があったりしますからねぇ。



俺の希望は、見ず知らずの人はちょっとお断りだけど、

知人の知人くらいのレベルなら、皆に見て欲しい感じです。

文章って人に読まれる運命にあるものだから、それが然り。

規模の大小はあれども、日記ってのも読まれてこそかなと。



ウェブに文章残す人は、少なからず顕示欲がある人だろう。

色んな人に自分のことが分かって欲しいのだろうし、

ガンガン更新するような人は、特にそんな人なのだろう。

俺もネット限定だが、その傾向があるっぽいなぁ。嫌だなぁ。



逆に、なんか日記を人に見られるのを嫌がる人もいるが、

本当に恥ずかしいのなら、そもそも日記の形に残さないだろ。

少なくとも俺は、比較的狭い交友グループ内での

「共感できる楽しさ」が、小規模個人日記の肝かなと思う。

知らない人に説明していると、面白さとは遠くなるからねぇ。

つまり、限定した人になら、誰だって読ませたがりかなと。



つまりだ、「閲覧者との共感の深さと広さ」が

mixi、日記系サイトを楽しく続けるコツではないかと。

共感されやすさと大勢に分かってもらえるかは反比例するが、

結局のところは同じく「分かって欲しい」に起因してるはず。



更新頻度やネタ切れ、内容の有無はあまり関係なくて、

自分がどんなタイプの「分かって欲しがり」かを

見極めることができれば、楽しくブログを書けると思うわ。



いかん、長すぎ。次回からもうちょい短く書かねば。