しあわせさがせ?

たらたら日記帳

努力の定義

最近見た素晴らしい「努力」の定義 - インターネットください

良くいわれる「努力の正体が何なのかわからない」というのは、「現在進行形でおこなっている行為は、成功しない限り第三者から努力とは認定されないから」だろう。努力とは元々「後付けで成功原因を説明するためのメソッドだった」というのが個人的なまとめ。

成功した時点で、その成功になった要因を探し出してきたものが「努力」らしい。
だから成功者は必ず努力しているし、
労力をかけることが成功につながるとは限らない。
なるほどね。これなら矛盾なく定義できる。上手いこと考えるもんだ。


これだと、努力が美徳という観念自体を疑う必要がありそうだなぁ。
所詮は後付けで努力なんていくらでも見つけられるわけだから、
成功に焦点を合わせて、それ以外は切り捨てていく感じ?
「頑張ることが美しい」という言い分への根拠が足りない。


努力が報われるとは限らないけど、みんな幸せになりたいよね?
多分しあわせになるための安全保障としての「努力」という面も
無視できないんじゃないかな。成功しなくてもハッピーになれる。
だから努力が美しいなんて話が出る。結果から目をそむけるために。


所詮俺らが普段頑張っていることなんて、
失敗したときの気休め、成功したときの理由づけという
あんまりなお話になりそうなのでここで筆を置く。